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コマチュック大会

コマチュック大会

 在日朝鮮初級学校中央サッカー大会、通称コマチュック大会が今年も堺ナショナルトレーニングセンターで行われました。全国の朝鮮初級学校のサッカー部が一堂に会し、しのぎを削るこの大会は、今年で36回を数える、歴史ある大会です。

 同じ近畿圏で行われるので、毎年一日だけ応援に行くのですが、応援団の熱意に驚かされます。北は北海道、南は九州から、8月の猛暑の中かけつけるのですから、応援に熱が入るのも当然でしょう。父母が同年代ということもあり、懐かしい友人や意外な知人に会ったりすることも、この大会の楽しみの一つです。

 この歴史ある大会では、毎年筋書きのないドラマが繰り広げられ、感動を覚えます。31回大会では、母校が優勝するという快挙を成し遂げました。そのチームに甥っ子もいたので、感慨もひとしおでした。それに勝るとも劣らない感動が今大会で起こりました。それは、セッピョルチームの快進撃です。

セッピョルチーム

 セッピョルチームとは、北海道、東北、福島、新潟、群馬、茨城、栃木の7校の合同チームです。6年前から年に一度7校が集まり、2泊3日、寝食をともにしながら遊び学ぶ、セッピョル学園の名前に由来しています。

 私は5年前まで新潟に住んでいたので、このセッピョル学園開校、セッピョルチーム創設の歴史を少なからず知っています。セッピョルチームは小学生だけではなく中学生もあります。実は中学生の方が先に始まっていて、合同チームを開始して、十数年は経つのではないでしょうか。

 他の地域にも合同チームはありますが、ここまで広範囲の合同チームはありません。東日本全域と言っても過言ではない7校がともに練習するのは、そう容易いことではありません。移動距離、それにかかる費用だけでも途方もない数字です。私自身、群馬や茨城、福島など、何度往復したかわかりません。これを十数年続けているだけでもとてつもないことです。

 そのセッピョルチームが今大会で、1部4位という成績を残しました。残念だったのは、台風の影響で、決勝トーナメントが後日行われたことです。たらればはいけませんが、そのままトーナメントが行われていたらもしかしたらと思ってしまいます。他の3チームは近畿圏のチームで開催場所は同じく堺トレーニングセンター、遠方からバスをチャーターし、夜中10時間以上の距離を走って参加したセッピョルチームには不利な状況と言わざるを得ません。1勝することなく大会を終えることになったのですが、私はセッピョルチームに大きな拍手を送りたいです。7校集まっても人数は少なく、ともに練習する時間も少ない中、1部4位という成績は立派です。何より試合に向かう子どもたちの姿勢に感動しました。その芯の部分は、単に合同で練習しただけでは培えないものだと思います。6年間のセッピョル学園の中で育んできた絆がチームを育てたのではないでしょうか。合同チームを組む以前からサッカー指導員たちは今後のサッカー指導についてよく議論していました。ときには同じチームとして、ときには敵チームとして切磋琢磨して来ました。それが今回実を結んだように感じ、目頭が熱くなりました。 

セッピョル学園

 セッピョル学園を開校するまでにはたくさんの紆余曲折がありました。それを乗り越えてでも開校出来たのは、青商会をはじめ、各地域の組織や父兄たちの物心両面の支援があったからに他なりません。第1回セッピョル学園を終えた後のある青商会の方の一言が今でも耳に残っています。

「この笑顔を見ればどれだけ楽しかったかわかる。この笑顔が見たかったんだ。」

 ウリハッキョは日本一のマンモス校だとおっしゃった、当時の茨城青商会会長の言葉通り、各学校人数は少なくても、こうして集まればたくさんの友だちがいる、それを全国に示した行事だったと思います。

 セッピョル学園以前にも交流がなかったわけではありません。前述したクラブ同士の交流はもちろん、連合団運動を筆頭に、中2、3講習や入試のための勉強会など、様々な形で交流を深めて来ました。少年団は交流があるのに低学年はないからと、低学年独自の運動なども行いました。そういう歴史の上にセッピョル学園は成り立っているのだと思います。

 茨城学区制は、今は6校ですが、元々は茨城、栃木、群馬、新潟の4校でした。東北朝鮮高校の休校により、東北、福島も茨城学区制に入ることになりました。後に北海道も加わり、現在、7校で開校しています。セッピョル学園を支える同胞たち、先生たちの努力には本当に頭が下がります。私自信、少なからず尽力出来たことを誇りに思っています。

生徒数減少

 セッピョル学園、ウリハッキョはマンモス学校だと全国に見せつけた行事ではありますが、生徒数減少という現実は重く受け止めなければなりません。厳しい言い方になるかも知れませんが、6校の卒業生が茨城朝鮮学校へ入学したとしても、20名に満たない状況はあまりにも寂しすぎます。人数の少ない中で小、中学時代を過ごしても、せめて高校は多い人数の中で学園生活を謳歌してほしいと思います。

 生徒数減少は、少子化が影響しているだけではないと思います。特に地方の朝鮮学校は顕著に現れている部分があるのではないでしょうか。根本的に対象となる子どもが少ない理由はどこにあるのでしょうか。私の見解は次の通りです。

 卒業生が地元に帰って来ません。私が新潟にいた頃、卒業生が地元に帰ってきた人数は半数にも満たない状況でした。帰って来たくても仕事がないという理由が多かったように見受けられます。そして、帰って来ても結婚相手がいません。朝青などで顔を合わせるのは、学生の頃から慣れ親しんだ顔ぶればかり。もちろんその中で恋に落ちて結婚することもありますが、極一部でしょう。これが晩婚化に拍車をかけているのは間違いないと思います。結婚しなければ子どもが少ないのは当然で、従って対象人数が少ないと私は分析します。もちろん、これ以外にも問題はあると思いますが、私は、この問題の一つを少しでも解決したいとちみートークを立ち上げました。

 私のやりたいこと、やろうとしていることは、すぐに実を結ぶことではないと思いますが、セッピョル学園のような子どもたちの笑顔が一つでも増えるよう、奮闘して行こうと再決心する今日この頃です。